●第7回・T-MED政経文化塾論説

老子は第四十九章で「聖人の無心」を説いています。

「聖人は常の心無し。百姓(ひゃくせい)の心を以て心と為す。善なる者は吾(われ)之を善とし、不善なる者も吾亦(また)之を善とす。善を得(う)。信なる者は吾之を信とし、不信なる者も吾亦之を信とす。信を得」

聖人には定まった心はない。人民の心をその心とする。善であるものを私(聖人)は善とするが、善でないものも私はやはり善しとする。(こうして)善が得られる。信義のあるものを私は信ずるが、信義のないものも私はやはり信ずる。(こうして)信が得られる。

紀元前4世紀の戦国時代の人と見られる老子が、ここで近代政治の根本原理つまり「政治は民の心を心とせよ」を説いているのに驚かされます。「百姓の心を以て心と為す」がそれです。漢学者の月洞讓氏が解説しています。

「民の声は天の声である。と同時に、政治家自身の姿勢に対する反応でもある。民はいつも上の人のすることを見ている。上の者が欲深く、汚職を平気でするようであれば、民もそれにならって悪いことをする。それゆえ聖人(理想的な為政者)は自分が何を好むか、何を欲するかという手の内を見せず、自然の流れに順(したが)うべきなのである」

この章の後段です。
「聖人の天下に在(あ)るは、歙々(きゅうきゅう) として天下の為にその心を渾(こん)にす。百姓は皆、その耳目を注(そそ)ぐも聖人は皆、之を孩(がい)にす」
聖人が天下に対するやり方は、何もかもすべて取り入れて包容するのであって、天下のためには、かれの心を見分けにくくする。人民はだれもが(かれに)耳と目を注ぐが、聖人は彼らを赤子のように扱う。

「不善の人も善人と見なす」について中国の作家・王福振氏の説明です。
「善人でない者に善良な態度で接するのは普通は難しい。とくに大悪人に対して善良な態度で接し善導するなど凡人ではできない。それを大きな慈悲の心で寛容に受け止められるのは『道』を究めた聖人でなければできない、ということです。また誠実な人とそうでない人についても『信頼できない人に対して信頼できるようになるには、とことん相手を信頼してみること。そうするうちに相手も信頼を寄せてくる』と老子は考えていました。これは処世術として参考になる考え方です。嫌いな相手に対し、ストレスなく付き合うには、まず自分から胸襟を開くことです」

どうやら「気にしない」鷹揚さが大切のようですね。

「永田町社稷会」主宰 鈴木棟一氏より