●第5回・T-MED政経文化塾論説

老子は第四十八章で「余計な作為をしない」ことを説いています。

「学を爲せば日々に益し、道を爲せば日々に損(そん)ず。これを損じてまた損じ、以て無為に至る。無為にして爲さざるは無し」

「学問を修めていくと、一日々々に知識が増し、内容が豊富になっていく。これに反して道を修めていくと一日々々に知識が減っていく。ならば、学問を修める方がよく、減る方の道を修める方が悪いというと実はそうではない。多ければ迷うのであり『学を絶てば憂いなし』(第二十章)である。道を修めて、知識を減らした上に減らし、どんどん減らしついには無に帰し、無為の境地に達するが、この境地に至れば、実はかえって、いかなることも為し得ないことはなくなる」

この章の結びです。

「天下を取るは、常に無事を以てす。その有事に及びては、以て取るに足りず」

これを天下を取る場合について考えて見ると、天下を取るには必ず無事を以てしなければならない。無事は太平であり、これに反して有事は戦争であり乱世である。従って有事には天下を取るに足らないのである。

前段の末尾にある「無為にして為さざるはなし」について谷沢永一氏が「老子の読み方」で語っています。

「この場合の老子の『無為』も問題だ。何かを為すことの全否定なのか、あるいは余計なことをすることの否定なのか。そこのところはもう一つ、言葉としてはっきりしていないが、おそらく余計なことはするな、と解釈すべきだろう。何もするな、というのは『私はこういうことを教えたい』という老子と矛盾するわけだから」

これと同じ流れで、小川環樹博士も後段を次のように解釈しています。

「天下を勝ち取るものは、いつでも、よけいな手出しをしないことによって取るのである。よけいな手出しをするようでは、天下を勝ち取る資格はない」

渡部昇一氏は後段の「有事」と「無事」について別の角度から論じています。

「天下を取るにはいつも無為を以てする。しかし『有事があることになると天下を取ることはできない』これは戦争が起これば自分たちの出る幕ではない、ということではないか。老荘の徒にとっては、有事のときに無為では負けてしまうから、出てはいけない。天下が無事のときは自分たちのような無為がいい。ここはやはり道教系の人に対する教えです。」

同じ老子の言葉がさまざまな解釈を生むのが興味深いですね。

「永田町社稷会」主宰 鈴木棟一氏より