老子は第四十七章で「家の中でも天下がわかる」と言っています。
「戸を出でずして天下を知り、牖(まど)を闚(うがが)わずして天道を見る」
戸口から一歩も出ないでいて、世界のすべてのことが知られ
、窓から外をのぞきもしないで、自然界の法則がよくわかる。続いてこの章の後半です。
「其の出ずること弥々(いよいよ)遠ければ、その知ること弥々少なし。是(ここ)を以て聖人は、行かずして知り、見ずして明(あきら)かにし、為さずして成す」
外に出かけることが遠ければ遠いほど、知ることはますます少なくなっていく。それゆえ『道』と一体になった聖人は、出歩かないですべてを知り、見ないですべてをはっきりとわきまえ、何もしないですべてを成しとげる。
諸葛孔明は劉備の三顧の礼に感激して「出盧」しますが、草盧にあるとき、すでに天下の形勢を見ていたことは有名です。次の言葉を残しています。
「将たる者が天文を知らず、地理にも明るくなければ、将はつとまらない」
これについて中国の作家・王福振氏が書いています。
「時々刻々と変化する状況を見抜く判断はリーダーにとって極めて重要だ。古代では情報収集が非常に困難だったので、天文や地理の兆候や状況にもとづいて形勢を分析、戦況を判断した。将軍や軍師はこのようにして、攻撃の機会を瞬時も見逃さなかった」
谷沢永一氏が「老子の読み方」で指摘しています。
「戸の外に出でずして天下を知る、は当然のことで、『遠く出れば出るほど知ることはますます少なくなる』の『遠く出る』を『たくさん学ぶこと』と理解してよい。漢学をやった人であまりに博識な人は、ほとんど生産的ではない」
同著で渡部昇一氏が語っています。
「日本の敗戦が一番よくわかったのは監獄の中だといいます。それこそ『戸を出ずして敗戦がわかる』。窓から見なくても空襲はわかりますから」
渡部氏が続けます。
「昭和天皇は人が気づかないことを早くに気づいておられた。ガナルカナルに米軍が来たとき那須におられたが『大変だから東京に帰る』とおっしゃった。周囲の皆は『偵察だろう』と止めた。ところが天皇だけは『総攻撃の始まりではないか』と心配された。その通りだった。軍部はわかっていなかった」
行かずしく知り、見ずして明らかにする、昭和天皇は的確でしたね。
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