老子の第四十五章も、前章に引き続き名言が散りばめられています。
「大成は欠けるが若(ごと)く、その用は弊 (すた)れず。大盈(えい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧(こう)は拙(つた)なきが若く、大弁は訥(とつ)なるが若し。」
本当に完全なるものは欠けたところがあるかのようで、その働きはいつまでも衰えることがない。本当に充満したものは空っぽであるかのようで、その働きはいつまでも尽きない。本当に真っすぐなものは曲がっているかのようである。本当に巧妙なものは下手くそであるかのようである。本当に雄弁なものはまるで口べたであるかのようである。
この部分について谷沢永一氏が「老子の読み方」で論評しています。
「大成=大いなる完成とは『本当の意味での完成』ということでしょう。それは『欠けているように見える場合がある』ということです。政治の場合は絶対にそうです。誰が見ても、どこから見ても、完璧ということはあり得ない。どこかが欠けている。しかし結果よければ、すべてよしです。それから『大巧は拙の如くである』『大弁は訥の如くである』はまことに言い得て妙です」
この章の後半です。
「躁(そう)は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静(せいせい)は天下の正たり」
ばたばたと動き回れば寒さをしのぎ、静かにじっとしておれば暑さをしのげる。清らかで静かなものこそが世界の主(あるじ)となるのだ。
この部分について、中国の作家・王福振氏の解説です。
「清い心で静かな態度とは、人が真理を認識し、正しい判断力を修養するための基本的な心構えです。日常生活では安らかな心を養い、焦ることを避ければ、誤りを犯すことはなくなります。挫折や困難に直面したときでも、心を穏やかに保つならば、問題解決の道が見つかり、失望落胆することなく自信を失うこともありません」
前章の「足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず」も含め、老子は簡潔な名言を連発します。これについて小川環樹博士が書いています。
「老子」の文体は練りに練ったすえにでき上っているようである。短いながら、いや短くすることは意図されていていたことであるらしいが、屈折に富み、全体として散文するよりは詩に近い。この書の永遠の魅力は、その表現のすばらしさに負うところがきわめて大きい」
老子は練られた名言集のようですね。
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